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資本論をボランティア社会という視点でどうみるか

「資本論」について

 はじめに,資本論を論じるのは非常にデリケートな問題であるので,私は共産主義が正しい,資本主義が正しい,右翼だ,左翼だという立場を取りません.そして暴力には反対です.人々が共通する願いである平和,この世の中が少しでも良くなる方法,少しでも多くのひとが幸せになる方法を考える上で資本論は頭に入れておくべき問題だと考えています.

 結論から言えば,社会の形が資本主義である現在,資本論に基づいたよりよい世の中を形成するためには資本主義を継続しながらボランティアという市民団体の結束を高めることが重要だと考えています.

現代の日本はマルクスが「資本論」を書いたときのような元来の資本主義に近い状態に戻ってしまっています.ここでいう元来の資本主義とは資本が自己増殖を目的とするという意味です.資本家が悪と言っているのではありません.むしろ資本論では資本主義の重要性も説かれています.しかし資本は自己増殖を目的にするため,労働者の働き方などを顧みる性質を持っていません.ロシアで社会主義革命が起きたとき,西側諸国では革命を恐れ,労働者の権利を一定程度認めました.解雇を規制し,労働時間を8時間に定め社会福祉を充実させました.しかし,東西冷戦が終わったことによって資本主義,つまり自由経済が勝ったと考えてしまいました.マーケットにすべて任せるようになり,必要な規制もなくしてしまいました.

しかし,実際は社会主義の国が勝手につぶれてしまっただけです.元々マルクスの主張は,社会主義国というのは資本主義によって経済が発展し,経済基盤が作られ,そこで労働者が団結する力をつけてから社会主義国が作られるというものでした.ソ連はまだ封建社会から農奴が解放されたばかりの時代に,マルクスの考え方が必要だと考えた労働者をよく知らないごく一部の支配階級が革命を起こしました.その結果失敗しただけで,マルクスの考えた発展の仕方とは違い,未成熟な過程をたどってしまいました.

もちろん,マルクスの考えた通りに進めば社会主義がうまくいくかというと,わかりません.ただ,資本論が書かれた社会というのは資本主義だけの社会でうまく規制が働いていませんでした.これは少し前の派遣切りの問題や雇用の問題によく似ています.規制緩和が声高に叫ばれていますが,必要な規制と必要じゃない規制をしっかりと見極める必要があります.そして社会のセーフティネットの整備をする.そのひとつとしてボランティアがあってもいいのではないでしょうか.

現在の資本主義にはイギリス・アメリカ型の規制緩和型や北欧のような高社会福祉型などがありますが,それで完成されているわけではありません.前者では格差が問題になりますし,後者では税負担が問題になります.もちろんボランティアをそこに入れたとしても,相互扶助という形になりえるのかは未知数です.しかし,やってみる価値はあると思いますし,少しでも世の中が良くなれば良いと思います.

マルクスの話に戻りますが,「共産党宣言」というマルクスの著書では民衆が一番に獲得するべきは民主主義であると書いてあります.マルクスの時代には民主主義がありませんでした.そして,レーニン以降のロシアで自由な選挙は実現していません.これもマルクスの考え方に則していなかった証拠となります.また,マルクス・レーニン主義というものがありますが,これはあくまでもマルクス主義から派生した主義のひとつであって,他にも色々な考え方があります.

資本論ははじめに「資本とは何か?」を論じています.私たちが生きるこの資本制社会は『商品』に囲まれています.この商品の集合体こそが資本制社会における富,資本だと述べています.そのため,資本論は『商品』の研究からはじまります.

商品の価値を何で測るかといえば現代に生きる我々は「お金」ではないかと考えてしまいます.しかし元々お金も商品であったのです.たとえば金本位制の時代には,『金』という商品が物同士を交換する際の媒介になっていました.これはあくまでも『金』というものの希少性が高く,持ち運びできる非常に小さな金でも価値があったために使われていました.マルクスはさらに深く洞察し,商品の価値はそれを作るために投入した『労働量』であると主張します.『金』もそれを掘り出すために労働が必要,例えばそれをお米と交換するとして,お米を作るのにも労働が必要.さらにお米が食べたいけど,自分が得意なのは野菜を作ることだというときには,野菜を作るために投入した労働量を媒介である金や貨幣に変換し,それをお米に変換しなおします.そこに常にあるのは『労働量』であるということです.

ここでふと浮かぶ疑問が2つあります.

1.労働量というけど,時給でもらっていたらさぼったりしたほうがたくさんお金をもらえる.

2.労働量というけど,仕事によってもらえる賃金が違うのはなぜ.

1番に関しては,さぼったりするひともいればがんばるひともいます.これらの社会的平均値がその商品を生み出すのに投入される労働量であると定義しています.

また,2番に関しては,複雑労働というのは単純労働の積み重ねであると定義しています.「労働時間」で定義されるのではなく,「労働量」で定義される,つまり複雑労働のほうが同時間では単純労働より労働量は多いということを述べています.

そしてこの労働量を交換する過程が,

商品→お金→商品 W→G→W

ということになります.

ここで G→W→G つまりお金で商品を買い,それを売ることでまたお金に変える人たちが出てきます.しかし,この段階ではすべて等価交換なので,

G→W→G+

 つまりお金で商品を買って,その価値を増やしてより多いお金に変える動きが出てきます.これが『資本』だということになり,資本の基本的性質として自己増殖というものが規定されます.

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 お金で『商品』を買ってきて,それを組み合わせたり付加価値,剰余価値を加えることでお金を儲けること,これが資本主義の基本であり,この価値を付け加えるのに必要な『特殊な商品』が『労働力』であると述べています.そもそも労働者というのは『労働力』を売っている存在なのです.ここで労働者は労働力を自由に売ることができ「Free」であり,資本家と労働者は労働力の売り手と買い手として法的平等の立場にあります.(自分自身を売るのでは奴隷になってしまいます.あくまで自分の『労働力』のみを売り物にするのです.)

 この労働力とはなんのための売り物なのか.労働者にとっては『労働力の再生産費』ということになります.再生産費とはつまり食費であったり家賃であったり,働きっぱなしでは労働力が消耗されきってしまうので,家に帰って寝たりリフレッシュするための費用です.ここでマルクスは『搾取』を発見しました.たとえば労働力再生産費を労働者Aが4時間で作りだしたとします.その労働者Aは資本家との契約で8時間働かなければいけません.つまり残りの4時間は剰余労働となります.この4時間の剰余労働によって作り出された『剰余価値』は資本家のものとなるので,この部分が『搾取』だということです.しかし,マルクスはこの搾取を否定しているわけではありません.というのも,『搾取』をなくすために『剰余労働・剰余価値』をなくすということは,社会の富がこれ以上増えないということになります.剰余価値が増えるからこそ封建社会のころより現代のほうが豊かになっているのです.問題はその剰余価値が誰のものなのかということ,剰余価値の比率がどの程度かということです.剰余価値の比率を労働者に有利なものにしようということで,冷戦時代の西側諸国は労働者のための規制を作ったのだと考えることもできます.

 資本家の性質についても言及しています.資本家とは個々の人間のことでなく,人間の姿をした『資本』にすぎません.「資本家の魂とは資本の魂である.ところが資本はたった一つの生の衝動しか持っていない.すなわち自分の価値を増殖し,剰余価値を作りだし,その不変部分である生産手段を用いてできるだけ大量の剰余労働を吸い取ろうとする衝動である」.もちろん資本家一人ひとりには良い人,優しい人はたくさんいます.世の中のためと思って働いている人,従業員に給料をたくさん払おうとするひともたくさんいます.これが資本主義の社会に巻き込まれてしまうと,資本の魂が考えることは少しでも労働者に長時間働いて欲しくなります.その労働の質を高め生産力を上昇させたくなります.例えばコンビニや製鉄所などで,24時間働かせたほうが利益が出るため,3勤交代で夜中に働かせたりします.このように資本主義のみに頼ってしまうと,労働者が人間らしい生活ができなくなってしまうということで,規制などが行われているのです.

 また,資本の衝動として自己の増殖を考えるということは,機械化することで生産性が上がるならそちらを選択し(機械化),安い労働力があれば海外に求めます(グローバル化).そして商品が安くなることで再生産のための生活費が下がれば,労働費を引き下げ利益を追求します(デフレ).これがマルクスの時代だけでなく現代に起きている事象です.

 資本主義の始まりとは,大勢の人が同じ場所で同じ目的のために働き始めたときです.昔は家庭内で農作物を作ったり漁業をしたりしていました.自己消費のための生産物は『商品』ではありません.交換価値を持つものが『商品』となります.そこで,その商品を作るために人が集まり,協力して,一人ではできなかったような生産をしだすことを資本制社会だとマルクスは述べています.同時に人間は社会的動物であり,一人よりも大勢が集まったほうが生産性は上がることも主張しています.ライバルがいたり,喜んでくれる顧客がいることによって「やる気を独特に刺激し,個人個人の能力を高める」ことにつながるのです.つまりマルクスは資本主義の非人間的なところも論じている一方で,資本主義によってみんなが同じ場所で働くようになり,生産性が上がることで社会が豊かになっているとも言っています.

 出来高賃金というものも資本家に有利なシステムです.マルクスはこう述べています.「出来高賃金とは一見すると労働者によって売られる使用価値は彼の労働力の機能であるかのように見える.しかし,例えば時給1000円のような時間賃金と同じように,出来上がった商品の値段とそれを作るために費やした時間によって結局その時間賃金が規定される」つまり時給いくらとは決まっていませんが,結局その人が働いた時間で賃金を割ればその人の時給がわかるということです.そして出来高にすることによって労働者は一生懸命働くので(もちろん手を抜く人も中にはいますが平均的に),結果的に時間賃金のときにはダラダラと8時間かけて作っていた商品を社会平均的に6時間で作れるようになり,資本家の立場から見ると賃金が下がることになります.

 資本主義の教育

 社会が発展するに従って,機械化が進みます.それによって単純労働をしていた人々の仕事はなくなり,一方で機械に置き換えられない仕事をしている人々の労働量は増えることになります.いろんな機械を使いこなせ,新しい機械が入ってきたらすぐに対応できないといけない,そのために優れた能力を持つ人間を増やす必要が出てきます.会社がお金を出して技術を習得させることもあれば,資本家が政治家に働きかけて学校を作らせることもあります.資本家からすれば優秀な人材が増えることでより効率的に資産を増やすことができ,労働者からすれば昔のように児童労働をする必要がなく,むしろ色々な事を学ぶチャンスができることになります.つまり資本主義は悪いことだけではないということをここでもマルクスは言っているのです.

 格差社会

 労働者は出来高賃金によって一生懸命働くので,結果的に労働賃金を下げています.また,一生懸命機械を作ることで機械化に寄与し,その分労働者の働く場所を減らしてしまい,失業者があふれることで労働賃金をさらに下げてしまいます.その一方で資本家は安い労働力を使ってさらに資本を増殖させます.このように資本主義の社会では格差社会が必ず生まれてしまうということを19世紀のマルクスは主張しており,実際にリーマンショック後など派遣切りの問題や失業率の問題が浮上しています.

 小規模経営から資本主義,そしてその後

 昔は封建社会のもと,奴隷制度や農奴がいて生産物のほとんどを領主に持っていかれるような時代でした.そこから自分たちの作ったものを自分たちで処分できる,自営農家が生まれ,小規模経営となり,さらに多くの人が集まり協業し,生産性を高めることで資本主義が発展していきました.そして次のように述べています.

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「一人の資本家が存在するためには多くの資本家が虐殺されるのである.(実際に殺されるわけではなく表現です.)この集中,もしくは少数の資本家による多数の資本家の財産収奪と並行して,労働プロセスにおける協同作業の形態が,たえず進んだ段階へと発展していく.同時にまた科学が意識的に技術へと応用されるようになり,地下資源が計画的に掘り出され,労働手段が協同でのみ利用できる形に変化し,協同の社会的労働の生産手段として利用されることによるあらゆる生産手段の経済化が進み,すべての民族が世界市場のネットワークに組み込まれ,それとともに資本制の国際的性格が発展する.巨大資本家はこうしてその数を減らしながら,この変容過程がもたらすいっさいの利益を奪い取り,独占していくのだが,それとともに巨大な貧困が,抑圧が,そして隷従と堕落と搾取が激しくなる.だがまた,資本制生産過程のメカニズムを通じて訓練され,統合され,組織化され,増加する一方の労働者階級の憤激も激しくなる.資本の独占は,それとともに,今度はまたその下で花盛りとなった生産様式そのものを束縛しはじめる.生産手段の集中は,そして労働の社会化は,ついにその資本制的な被膜と合わなくなるところまでくる.そしてこの被膜は吹き飛ばされる.資本制的私的所有の終わりを告げる鐘が鳴る.収奪者たちの私有財産が剥奪される.」

 つまり資本家たちが激しい競争の末,M&Aなどを繰返し,強い大企業だけ残ってきます.独占企業ができると労働者たちが何千人も同じところで働くようになります.また,科学が意識的に生産手段を上げるための技術に応用され,機械なども一人では使えないような大型なものは協同で使われるようになり,さらにそれが世界的なグローバルネットワークの中で行われると述べています.実際に現代において起きている事象です.この巨大化された資本は「堕落と搾取が激しくなり」,格差社会が広がります.しかし,資本主義の良いところも主張しており,労働者の生産が「訓練され,統合され,組織化され,」能力が上がってきます.そして最後に労働者たちの憤激が溜まり,爆発し,資本主義社会は終わる運命にあると言っています.

 これらの資本論を読み,「社会主義革命が必要だ.」と考えるひともいれば,「資本主義を手直しして使う必要がある.」と考えるひともいます.いろいろな考え方があって良いと思います.しかし,先にも述べたように東西冷戦を経て,資本主義国が残ったことで「資本主義が勝った.完全にマーケットに任せればいいんだ.」という考え方は,マルクスの時代に戻ってしまうことになり,格差社会を生んでしまいます.そもそもロシアではマルクスの主張する形,つまり「高度な資本主義国での社会主義革命」が起きたわけではありません.一部の支配層が行ったことです.一方で,それならば今は「高度な資本主義なのか?今なら社会主義革命が起こせるのか?」と聞かれると答えはわかりません.パソコンや統計学の進歩によって計画的な経済というのは実現できるのでしょうか.

私個人の意見としてはできないのではないかと思っています.もちろん「世界の全員が幸せな社会を実現するために革命を起こすんだ」と活動することは大切かもしれません.(非暴力に限った活動においては.)しかし,一番身近な先進国である日本においてですら,経済的格差,教育の格差など様々な格差問題があります.そしてそれはそのまま直結して人間の本能である欲を強める結果にもなります.明日から社会主義です,みんなで仲良くしましょうと言われたところで,それに賛同する人も大勢いれば,それに反対する人も大勢いると思います.

私が主張したいのは,マルクスの言う資本主義から社会主義への進化ではなく,その二つの間にワンステップ,つまりボランティア社会が入るのではないかということです.マルクスの言う,「労働者が組織化され,自ら計画的に動く」というのはまさにボランティアと同じではないでしょうか.社会が豊かになっていくためには資本主義による競争や余剰価値,教育などが必要です.そして一方で資本主義による弊害である格差をなくすためにもボランティアを活用していきたいということです.

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