ドイツにあふれる移民:現状とこれから
こんにちは!JAVOメディアライターの永井です。
皆さんは、移民・難民と聞いて、どの国を思い浮かべるでしょうか。移民を最も受け入れている国はアメリカで約4343万人、それに次いでドイツが約1422万人、日本はというと約342万人となっています。難民に関しては、アメリカや日本は突出した点はありませんが、それに比べドイツは年間110万人を受け入れています。この数字から見てわかるように、現在の難民の数は驚くほどに多いこと、そして、難民・移民どちらも多く受け入れている国がドイツであるということです。
一見すると「難民・移民を多く受け入れている」ということには良い印象を受けます。しかし、当のドイツ政府や国民はどう感じているのでしょうか。
今回はここ最近ニュースにも取り上げられるようになった、この『ドイツの移民難民問題』についてご紹介します。
1.移民と難民の違いって何⁇
世間でよく言われる「移民難民問題」。みなさんはこの、移民と難民のそもそもの違いをご存じでしょうか。なんとなくにしか定義づけることができていないのではないでしょうか。
移民と難民の違いをよく理解することで、各国がどのような意図のもとに受け入れをしているかが見えてくるでしょう。
・移民;国際法で定められている定義はありませんが、国際移住機関(IOM)によれば、「国内または国境を越えて、一時的または永続的に、さまざまな目的で通常の居住地から離れる人」と表現されています。
・難民;難民とは、難民条約で「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々」と定義されています。また、国内の紛争によって、居住地を失い、自国内で避難を強いられている国内避難民と呼ばれる人々もいます。国内避難民は難民の定義から外れるため、国際条約上の保護の対象になりません。
2.ヨーロッパとドイツの移民受け入れの歴史
1600年から1950年まで、ヨーロッパは移民大陸でした。この期間に約7,000万人の人がヨーロッパから海外、特に北アメリカや南アメリカ、アルジェリア、アフリカ南部、パレスチナ、オーストラリア、ニュージーランドに国外移住していました。政治的また宗教的な考え方の相違から国外を目指した人、冒険心からした人もいましたが、多かったのはより良い暮らしを求める貧困層の人でした。
17世紀:フランスでプロテスタントへの迫害が強まり、約25万人のプロテスタントが周辺の国々に逃れました。17世紀後半当時のベルリンの住民の3分の1がこのフランスからのプロテスタント達でした。
19世紀:反ユダヤ主義の拡大により、ロシア、ウクライナ、ポーランド、バルト三国などのユダヤ人がドイツにも移住をしました。彼らは新しい少数派としてベルリンに定着したのです。
・1917年:ロシアで十月革命が起き、約150万人が思想的な理由から、ドイツやオーストリアに逃げたり追放されたりした。
・1933-45年:ナチス政権に反対したことや、人種差別主義の思想により迫害された人達約50万人がドイツ国外に逃げた。約600万人の人が第二次世界大戦中に強制輸送の上、殺された。また約850万人が強制労働者として拉致された。
ナチス政権掌握前はベルリンには17万人のユダヤ人がいたが、ナチス時代を経て第二次世界大戦中にはユダヤ人コミュニティはなくなった。1940年にはまだ8万人がベルリンにいたとされるが、1943年7月の追放以降は6,800人になっていた。合計で55,600人のベルリンのユダヤ人が強制輸送や迫害、自殺によって亡くなっている。また約28万人のユダヤ人がドイツ帝国から逃げた。世界中で80カ国以上の国々(特にパレスチナ、アメリカ、トルコ)がドイツからの難民を受け入れた。
・1945年:第二次世界大戦後、故郷を追われた1,200万人ものドイツ人や200万人のポーランド人、ウクライナ人による大規模な移住が起こった。またドイツの国境が新しく引き直されたことにより、故郷を離れなければならないドイツ人もいた。
・1949年:ドイツ連邦共和国基本法が旧西ドイツで制定され、「政治的に迫害されている者 は、庇護権を享受する。」と定められた。
・1951年:国連総会で難民の地位に関する条約が可決され、1953年にはドイツでも難民や故郷を追われた人に関する法律が発効され、公的な生活扶助に関しても整備された。
・1950-55年:ドイツは労働力が欠如していたため、イタリア、スペイン、ユーゴスラビアや、後にトルコやポルトガルの労働者が出稼ぎ労働者として募集された。
・1960年:約28万人の外国人労働者がドイツ内で働いており、1964年には100万人に達している。
・1966年:東ドイツ(DDR)も外国人労働者の募集をした。1966年から1989年までに約50万人の働き手がベトナム、ポーランド、モザンビークなどからやって来た。
・1971年:連邦政府は外国人労働者の滞在延長の条件を緩和したことにより、移民の人達はますます帰還することなく、ドイツに家族を呼び寄せるようになる。
・1990-92年:新たに外国人労働者の入国と滞在にかんする法律で、移住者の国籍取得の可能性が広がり、移住者により一層の権利保障が成されたが、1992年には政治的亡命者の基本的権利を、第三国の規制や空港でのプロセスを通して強く制限することで、主要政党が一致する。
・1993年:EUが発足。また1970 年代半ば以降から難民が急増したことにより、難民の数を抑制するような政策を求める声が強くなったため、1993年にドイツ連邦共和国基本法が改正され、難民の受け入れを抑制する規定が挿入された。
・1997年:ダブリン合意が結ばれ、EUに入ってきた難民が最初に足を踏み入れた国がその難民に責任を持つこととされた。
・2001年:UNHCRは2001年の中で世界中に1,500万人の難民がいると発表。更に2,000万~2,500万人が難民になるとした。9.11を境に、移民受け入れの政治的な雰囲気が変わる。安全保障政策が度々議論されるようになり、移民の受け入れはチャンスではなくリスクと取られる傾向が強まった。また失業者数が上がってきたこともその傾向を後押しした。ただ、それに反して高度人材の需要は上昇した。
・2004年:7月1日に連邦議会は移民法を可決、2005年に発効された。この移民法は外国人の権利を新しく整え、移民への提案と義務を記している。
・2006年:8月にはいわゆる反差別法が発効された。これは連邦法であり、人種や民族的な生まれ、性別や宗教もしくは世界観、障害や年齢もしくは性のアイデンティティによって不利益を被ることを防ぐことを目的とした法律である。
11月には内務大臣会議において、一年以上ドイツに住んでいて自分で生計を立てていることが明白な外国人には滞在権を与えることが決定した。
また、バーデン=ヴュルテンベルク州は国籍テストを導入した。外国人でドイツ国籍を取得したい人は、一連のドイツに関する質問に答えられなければならないとした。
・2012年:7月18日に、庇護申請者給付法について、連邦憲法裁判所が、庇護申請者に 対する金銭給付は、人間の尊厳にふさわしい最低限度の生活を保障する額でなければなら ないと判決し、これを受けて同法の重要な改正が 2014 年に行われた。
・2013-14年:就労令が改正され、滞在許可を受けた外国人、国外退去猶予者及び庇護申請者の就労要件が緩和されたり、国外退去猶予者及び庇護申請者が就労可能となるまでの待機期間が1 年から3ヵ月に短縮されたりした。
・2014年:難民宿泊施設の建設を容易にするための建設法の改正や、2015年には国外退去猶予者及び庇護申請者の滞在場所の制限の緩和のための滞在法及び庇護手続法の関連法規の改正なども行われた。
・2015年:メルケル首相のもとシリア戦争などを背景に約90万人の難民を受け入れた。
3.現在のドイツの移民
・ドイツの生活に根付く移民文化
『経済』
西ドイツにあるノルトライン・ヴェストファーレン州では、製鉄産業や自動車産業が盛んに行われていますがそこでは、約323万人の外国人が産業を支えています。
『ドイツ連邦議会』
ドイツ連邦統計局によれば、9人に1人が“移民”を背景に持っているようです。特に多い国は、トルコで約293万人,ポーランドで約220万人、ロシアで約134万人となっています。
『スポーツ』
ドイツのサッカー選手には、トルコ系のエジル選手やギュンドアン選手、アフリカ系のザネ選手などと現在も多くの、移民をルーツに持つ選手が活躍しています。
『料理』
ハンガリーをルーツに持つ「グラーシュ」(ドイツで長く愛される牛肉のカレー料理)や、トルコをルーツに持つ「ドネルケバブ」(牛、ヒツジ、七面鳥などの肉をパンにはさむ料理)などが多く親しまれています。
☆”willkommenskultur“(ウィルコメンスクトゥール)「歓迎の文化」という言葉も普及しています。
・なぜ今問題に?
→20世紀の移民は、労働者として一時的に呼び込んだだけであって、移民大国ではないというスタンスでした。21世紀に入ってから移民大国と主張するようになり、その頃すでにドイツに住んでいた移民にとっては「移民」という肩書をつけられてしまう形になってしまったのです。更に移民大国と声高らかに主張するようになってから、移民流入はさらに増加し移民に対する言語教育が遅れてしまったという面も同時に浮き彫りになりました。
→移民ではなく「難民」が最近の問題として挙げられています。シリア難民のほかにも、最近ではウクライナ難民も100万人以上流入してきています。この難民の多さによって、ドイツ国民への税負担が大きくなってしまうのです。そう、つまり増えすぎてしまったのです。
・ドイツで相次ぐテロ事件
<5月31日>アフガニスタン人25歳男性
マンハイムにて、反イスラームを訴える右派団体の集会を、ナイフで襲い、警察官が1人死亡し負傷者も5人出る事態となりました。
<8月23日>シリア人26歳男性
ゾーリンゲンで開かれていた祭りで無差別殺傷をし、3人が死亡8人もの負傷者が出ました。
<9月5日>オーストリア人18歳男性
ミュンヘンにあるイスラエル領事館付近で発砲し、警察との銃撃戦の末に射殺されました。
↓
このことを受け、ドイツに来る移民・難民に対して批判の声が高まっています。
↓
本来,EU内での移動はシェンゲン協定によって国境での検問の必要はないとされています。しかし、ショルツ政権はドイツに面している9か国との国境で検問を強化しているのです。
・極右政党AfD(ドイツのための選択肢)
この政党は難民を廃止することを掲げていて(排外主義)、現政党に次いで支持されています。
3.EUの移民申請の仕組み
難民はEU圏に入ったら初めに入った国で難民申請をしなくてはいけないという決まりがあります。ある意味、難民申請された国の問題になるわけです。
しかし、よく考えてみるとドイツは周りをEU加盟9か国に囲まれているのです。つまり、ドイツで難民申請をするには、①北ドイツの北海かバルト海から入ってくる②上空から飛行機で入ってくる、この2択しかないのです。
したがって本当は、難民問題を避けることもできる国なのです。だからこそ、今後国境警備が強化されていけば、難民が全く入ってこないということもあり得てしまうわけです。
難民の立場に立つと、ドイツに行きたいという理由もわかってきます。ドイツに入れば、人道上食事を用意してくれたり、最低限の教育もしてくれたりするのです。
この人々に寛容なドイツの社会保障制度が、素晴らしさゆえに足かせになってしまっているのだと考えます
今後は、EUの中で各国の難民受け入れ問題を議論していく必要があるのでしょう。
4.労働力不足
近年、ドイツでも高齢化が進み2035年までに700万人の熟練労働者が不足する事態になってしまうと予測されています。労働者の確保が急務となっています。
9月13日にベルリンで、ドイツとケニアとで包括的移民協定が締結されました。そこには、以下の狙いがあったのです。
1つ目;熟練労働者の受け入れを拡大し、こうどな技能を持つIT人材ヲ獲得すること。
2つ目;滞在資格を持たない人をケニアへ確実に送還すること。
↓
外国人労働者を多く受け入れるにあたって、限りある財源で、ケアはどこまでできるのか、ヘイトクライム(ドイツへ流入する移民に対して激化する反対運動)からはどうやったら守ることができるのか、を考えていく必要があると思います。
↓
今後、様々な国に拡大していくのでしょう。
5.まとめ
近年では、確かにドイツ国民の移民に対する批判は高まっています。しかしながら、ドイツ国内の労働力不足による移民労働者の存在も必要不可欠なのは周知の事実でしょう。これからの、移民・難民に対する政府の取り組みや国家間の協定、EUの動きに注目する必要があります。
そして日本も似たような状況になってきています。ですから日本もドイツに倣って、新しい政策を、グローバル化に取り残されないよう、議論していく必要があるのです。
ボランティア証明書の発行はコチラ【ボランティア証明書発行(全NPO対応) | NPO法人JAPANボランティア協会 (javo.or.jp)】
参考資料
ドイツにおける移民・難民受け入れの歴史 ~ドイツ・EUの移民制度とソーシャルファームから見る、包摂された社会のつくりかた(3)~ | DRIVE – ツクルゼ、ミライ!行動系ウェブマガジン
この記事へのコメントはありません。