笑いがつなぐ支援 ―寄席でのチャリティーを通して

こんにちは!JAVOメディアライターの岡前です。今回は、私が以前経験した支援活動のひとつである「寄席でのチャリティー」について紹介したいと思います。
目次
1. はじめに
能登地震の支援を目的に開かれたこの取り組みは、整骨院を会場にした小さな寄席でしたが、そこで得られた学びや気づきはとても大きなものでした。
この記事が私のメディアライターとしての最初の記事になるのですが、この活動について書こうと思ったのは、「楽しみながら支援に関われる」という点が強く心に残っているからです。ボランティアと聞くと、どこか堅苦しく感じる人も多いかもしれません。しかし寄席のような文化的な時間を通じて誰かを応援できる仕組みは、支援のハードルをぐっと下げてくれるものだと感じています。
2. 整骨院が寄席の舞台に
前述したように、私が参加した寄席は整骨院を舞台に開催されました。普段は治療やケアの場である空間が、この日だけは笑いに包まれる特別な場所へと姿を変えました。来場されたのは、主にその整骨院に通院している方々。お互いに顔なじみの方も多かったようで、会場にはアットホームで温かな雰囲気が漂っていました。
入場に費用はかからず、受付に置かれた募金箱が支援の入り口となっていました。落語を楽しみ、その余韻のまま募金へと気持ちを寄せるという、笑いの時間がそのまま支援につながる仕組みは、自然でありながら大きな力を感じさせるものでした。
もともとこの寄席は地域の文化館で定期的に開催されていた催しだったそうです。その取り組みを「能登半島支援」という形で整骨院で行ったのが、今回のチャリティー寄席でした。地域に根付いてきた文化活動が支援と結びつくことで、日常の延長線上に新しい価値が生まれる。そうした変化を間近で見ることができたのは、非常に印象深い経験でした。
3. 裏方としての支え
私は当日、いくつかの裏方の仕事を担当しました。出演される落語家さんのお弁当や飲み物を準備したり、ベッドを移動してステージを作ったり。どれも一見小さな役割に見えますが、小規模な会場だからこそ一つひとつの作業が全体の雰囲気や参加者の快適さに直結します。「こうした場を支えるにはこんなにも細かい準備があるのか」と、体を動かしながら実感していました。
また、受付では募金箱を前に来場者を迎える役割を担いました。笑いや拍手が響く空間の入り口に募金の場があることで、支援が特別な行為ではなく、ごく自然に寄席の一部として受け止められているのだと気づかされました。募金の有無にかかわらず、人々が足を止め、少しでも被災地に思いを寄せようとする姿を目にし、自分自身もその瞬間に立ち会うことで、人の思いが実際の支援へとつながっていく過程を身近に感じることができました。
支援は金額の大小だけではなく、「思いがそこに込められている」という事実そのものに価値があるのだということを、受付で募金箱を見守りながら繰り返し考えていました。裏方としての役割を通じて、人々の気持ちが目の前で支援へと形を変えていく様子を見届けられたのは、本当に貴重な経験だったと思います。
4. 初めて知った支援の形
寄席チャリティーを通じて強く感じたのは、支援の形は必ずしも大規模である必要はないということです。被災地支援と聞くと、多くの人が「現地に行ってボランティアをする」「まとまった寄付をしなければならない」と考えがちです。しかし、この寄席のように文化や娯楽の時間に自然と仕組みを組み込むだけでも、十分に力になると気づきました。
「笑うこと」が支援につながる。その新鮮さに触れたとき、支援は堅苦しいものではなく、もっと自由であっていいのだと思いました。楽しみや喜びとともにある支援は、無理に行われず自然に続いていく可能性を秘めています。落語の一席を楽しんだ後に、気持ちを込めて募金箱に手を伸ばす。そんな小さな行動の積み重ねが、大きな力になるのだと実感しました。
5. 文化がつなぐ支援の力
寄席を通じて改めて思ったのは、文化が人をつなぎ、支援を自然に広げていく大きな力を持っているということです。落語は江戸時代から人々に親しまれ、庶民の暮らしや知恵を笑いに変えてきた伝統芸能です。どんな状況にあっても笑いを見つけ、前を向こうとする精神がその根底にはあります。その文化を楽しむ場がそのまま被災地への応援につながる仕組みになったことは、単なる偶然ではなく、落語という文化の持つ本質的な力が生かされた結果のように感じられました。
当日、寄席を楽しみに足を運んだ方々の多くは、必ずしも「ボランティアをしよう」という強い気持ちで来場したわけではなかったと思います。けれど落語の世界に引き込まれ、笑い合ううちに自然と募金箱へと足を向ける。そこには「支援をするぞ」という堅い決意よりも、「せっかくだから何かしたい」という素直な気持ちが流れていました。文化が人々の心をやわらかく解きほぐし、気づけば同じ方向を向いている――そんな場面に立ち会えたことは、とても印象深かったです。
また、寄席という場には世代を超えて集まれる良さがあります。若い人から高齢の方までが同じ場で笑いを共有することで、「自分だけが支援しているのではない」という安心感や連帯感が生まれていました。一人では小さな力でも、文化を介することで「一緒にやっている」という感覚が広がり、気持ちが後押しされるのだと思います。
こうして考えると、文化は単に楽しむためのものではなく、人の思いを束ね、社会に新しい動きを生み出す土台でもあるのだと改めて感じました。今回の寄席は小規模なものでしたが、その場に集まった人々の気持ちが重なり合い、支援という形にまとまっていく様子は、まさに文化が持つ力の表れでした。支援の方法はさまざまですが、文化の力を通じて「楽しさ」と「思いやり」を同時に届けられるのは、とても意義のある形だと思います。
6. 日常の中でできる支援
今回の寄席をきっかけに、「支援は特別な誰かがするものではなく、日常の延長にあるもの」という考え方が自分の中で大きくなりました。地域のイベントや文化活動に募金箱を置く、チャリティーグッズを販売する。音楽やスポーツ、お祭りなど、楽しい時間の一部に支援を取り入れる。そうした工夫はきっと他の場面でも応用できるはずです。
また、裏方で汗をかくことも、募金を呼びかけることも、それぞれが確かに支援の一部になっています。寄席を通じて改めて気づかされたのは、支援には「やらなければ」という義務感ではなく、「自然に関わりたい」という気持ちが大切だということでした。そうした気持ちを大切にすれば、日常のあちこちに小さな支援の芽を見つけられるのではないかと思います。
7. まとめ ー小さな場から広がる思いー
整骨院で開かれた寄席は規模としては小さなものでしたが、集まった人々の思いや笑顔は確かに被災地に届けられました。自分がその一端に関わったことは、振り返ると非常に貴重で大きな学びになったと感じます。そして、この経験を通じて、私の中で「支援とはこうあるべき」という考え方にも新たな視点が加わったように思います。楽しみながら支援できる場の可能性を実感したことで、支援は堅苦しいものではなく、日常の中に自然に取り入れられるものだという認識が深まりました。
この記事を読んでくださった方にも、日常の中に小さな支援の種があることを感じてもらえたら嬉しいです。そして、楽しみながら誰かの力になる経験を、ぜひ身近なところで見つけていただければと思います。
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