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ボランティア―もうひとつの情報社会― を読んで

ボランティア―もうひとつの情報社会―

金子郁容著

岩波新書

1992年7月20日第1版発行

注:『』は著作の文章、「」は著作の文章の抜粋

1.ボランティアの不思議さ

 「ボランティアというと,困っているひとを助けてあげること,と思いがちですが,実際にボランティアに楽しさを見出している人はほとんどが,ボランティアで助けられているのはむしろ自分のほうだ.という思いを抱きます.」このように1990年代の書物には[ボランティアは助けるだけではなく,自分も社会とのつながりや絆を感じて助けられたり,得るものが多い]というところを押し出しているように感じます.しかし,その部分を押し出しても半信半疑の人も多いでしょうし,きれいごとだと一蹴される危険性もあります.経験したひとにしかわからない部分だと思います.

 一方で現代のボランティア活動に目を向けると,[Table for Two]のように途上国の飢餓と先進国の肥満という二つの相反する社会的課題を解決したり,[GLOBE PROJECT]のように楽しくフットサルをするだけでコートと同じ面積の地雷除去がなされるなど,ボランティアも多種多様化しています.この二つに代表されるように,最近のボランティアのキーワードには「2つの課題を同時に解決する.」「楽しい.」が含まれていると思います.このように本能に訴えかけるような施策はボランティアを広めていく上で重要になっていくと考えます.(ボランティアの存在が社会に有意義だということはほとんどの人が賛成だと思いますが,そこに一歩踏み出して参加するには大きなハードルがあると思います.)

 これはJAPANボランティア協会の理念に通じるところがあります.ボランティア証明書を発行することで,学生の就職活動,企業の採用活動の多様化,日本社会へのボランティア風土定着など様々な問題を同時に解決することができます.また,ボランティア登録をすることで,自分の経験や活動時間を蓄積できるので,自分の成果を目で確認することができて楽しめるという利点もあります.

 ボランティアの不思議な魅力として,誰かが誰かを助けるわけでなく,やっている自分も助けられて,そして楽しいという状況を作り出せれば,社会も少し良くなると考えます.

2.ボランティアと社会システム

 「現代社会は,金融システム,産業システム,公共サービスシステム,行政・完了システム,大企業など個人からは遠い存在である巨大システムによって管理・運営されています.」

 これがJAPANボランティア協会でも提唱している[政府,経済,そしてボランティアの社会へ]という言葉の[政府,経済]の部分になると考えています.この著者もボランティアがすべての問題を解決する万能の切り札だとは思っていませんが,少なくともひとつの解決方法だと考えています.

 この巨大社会システム,つまり自由主義経済が出来上がったのは,わずか200年前です.個人的利益の追求が,ひいては社会的利益になるという考えがアダム・スミスによって提唱されました.アダム・スミスの著書【国富論】では,生産力増加による国の富裕化が主題で,生産力増加のために分業を主張しました.それまでの農業社会では,各個人が家の修繕や農業,漁業に従事していましたが,分業が進められることで,個人の生活が巨大社会システムに組み込まれていきました.

 スミスの主張したのは,各自がそれぞれ勝手に利己心を追求すればいいという単純なものではなく,旧態の絶対権力による支配ではなく,新しい社会秩序として,道徳や倫理と共にある経済学として利己心を含む個人の利益の追求が結果的に社会的利益になるというものでした.

 マルクスはスミスのような楽観主義は取りませんでした.資本主義化が進むことで人々の生活は個人の生活の向上を求めるものから,社会システムに従属するという形に変化していきました.労働の商品化です.本著ではマルクスの提唱する労働価値仮説と剰余価値説について『時代錯誤の概念とはいえないような気がする』という緩い形での容認をしています.

労働価値仮説:資本主義社会では,自らの労働を売る労働者と,労働力と生産手段を買うための資本を有する資本家がいる.労働者は資本を持たず,資本家は労働をしないと仮定し,マルクスは生産された商品の価値はそれを作るのに投入された労働を唯一の源泉にしていると考えます.

 剰余価値説:労働価値仮説に基づくと,製品の価値は労働に起因するため,資本家に利潤が生じているのは労働者に払われるべき賃金を搾取しているという考え方になります.

 世の中のすべての人が平和に暮らせる世界を作りたいという発想で共産主義はあるので,ボランティアをする人の中には多少の共感を得られる部分があるのかもしれませんが,実際人間の生物としての本能や欲求を完璧にコントロールしなければうまくいかないシステムなのではないかと考えています.一方で資本主義は人間の本能や欲をうまく刺激する社会システムですが,富の偏りを生み出すというデメリットがあります.資本主義×ボランティア社会を作っていければと考えています.

3.社会との繋がり

 ボランティアとは結局他人の問題をどこまで自分の問題としてとらえられるかという問題です.本著でも「環境問題」をはじめとして,たとえばチェルノブイリ原発の問題でも一国の問題だけでなく世界的な放射能の問題につながっていったりと,世界の問題は個々人の問題に回帰する可能性が高くなってきていることを示しています.世界経済の繋がり,金融,グローバル社会,ソーシャルネットワークという言葉が多くつかわれるようになってきたことからもそれは正しいと思います.

 そのような社会において,他国の問題だから,他人の問題だからと切り離してしまうことは,最終的に自分にしっぺ返しをくらう可能性が高くなります.たとえば高齢者や障害者に優しくない社会を形成したとします.何も行動に移さないということはその社会を形成した社会の一員ということになります.仮にその状況では他人の問題だと考えていたとしても,年を取って高齢者になったらどうでしょうか.交通事故にあって足が不自由になったらどうでしょうか.

 すべての問題を自分の問題のように考えて行動するということはもちろん不可能だと思いますが,自分の関心のある分野,楽しいと思える分野にだけでも貢献することは,社会を創る一員としてとても有意義なことなのではないでしょうか.

 ただ,「ボランティアのつらさ」もここに起因すると本著では述べています.たとえば募金の値段を決めるのも自分,ボランティアをするかしないかを決めるのも自分です.募金の値段に規則があれば,払う瞬間には少し負担になりますが,精神的負担はあまりありません.自分でどこまでやるのか・やれるのかを決めるところにボランティアや寄付のつらさがあります.しかし,そこまで自分を追い詰める必要はないと思っています.「1円を寄付する」ことでも「ゴミをひとつ拾う」ことでも,この社会がほんの少し良くなったという事実に違いはありません.地球全体をよくしようと考えた時,どれだけのボランティアや寄付をしようと個人一人の力には限界があります.しかしほんの少しの寄付とボランティアを70億人が行ったらそのパワーは絶大です.本著で述べるつらさがもしあるのだとしたら,それを考えず自分が気がついたときに行える範囲で,長く続けていくことが重要だと考えます.

4.ボランティアの報酬

 『ニコマコス倫理学』でアリストテレスは「見返り」を期待しない行為について次のように述べています.「たいていの人は見返りを期待しないうるわしい行為をしたいと思いながら,実際は自分の得になることを選ぶに違いない,逆に,人は相手にうるわしい行為をしてもらうことを期待しないで,もらった分はちゃんと返礼するべきである.」

 ボランティアをしたことのないひとからのボランティアのイメージとして,好意的なものとしては「自分にとって一銭の得にもならないことを一生懸命やって偉い,感心だ.」となりますが,気持ちが少し皮肉的に傾けば「変った人,物好きだ」となり,反発心があると「偽善的だ」となってしまいます.そのように言われればボランティアは考え込んでしまうかもしれません.自分がしている行為は本当に「見返り」を求めない行為なのか.もしかすると自分は自分の力を誇示したいだけなのではないか.優越感を感じたいのでは.周りのひとにこんないいことをしましたよという自慢をしたいだけなのではないか.本著ではボランティアの報酬として,『広い意味での報酬』をもらっていると考えています.個々人がそれぞれの価値観の中で得るもの,知識,考え方,満足感,自己実現欲を満たすなど経済的なものだけではないさまざまな報酬の形があり,それを得ているのです.

 その形が少しずつ変わってきていて,アメリカでは有償ボランティアなどのように謝礼金をもらうことをよしとしたり,最低賃金以下で働く代わりに経験を得るというような相互の利益を追求する形のボランティアも多くなっています.その意味ではボランティア証明書もキャリアアップや就職活動のための自己の報酬となりつつ,ボランティアをすることで社会に貢献するという相互の利益の追求になっていると考えます.

5.ボランティア報酬の制度

 アダム・スミスから200年,マルクスから約100年経った現代において経済システムにのらないものは軽んじられることが多くなっています.結局「お金に換算して」という問題になってしまいます.しかし,その歴史は浅く,貨幣中心の経済体制が普及してから千年,資本主義が始まってから500年,世界的規模の産業経済システムが始まってから約100年です.それ以前は贈与性社会ともいうべきシステムで社会は動き,人が他人に対して与えた分を返すことが「当たり前」とされてきました.その「当たり前」には「神や共同体による強制」という意味も含まれています.マルセル・モースが『贈与論』において究明したのは,「太古の社会類型において,贈り物を受けた場合に,その返礼を義務付ける法的経済的規則はいかなるものであるか,贈られたものには,いかなる力があって,受贈者にその返礼をなさしめるかである.」.モースの研究は,北西部アメリカ,ポリネシア,メラネシアなどの地域共同体における贈与性経済システムです.そこではまず贈与が先に行われ,その後返礼がなされるが,この返礼は見掛け上任意ですが,強制的な形になっています.人類が誕生して数万年間,人類は贈与性経済システムを採用しており,本著では現代の資本主義システム以外にも人類が取りえた社会システムは多くあると主張しています.

 完全な贈与性経済システムに今から移行することは不可能でしょうし,メリットも少ないですが,完全な資本主義システムだけでなく,その中に贈与性経済システムのエキスを加えることは有意義なことだと思います.

 その一つの試みとして本著ではV切符制度を紹介しています.これは財団法人世田谷ふれあい公社を中心に様々な団体が行っている制度です.ボランティアが高齢者に対して1時間のケアをすると,ボランティアに対してV切符1時間が公社から発行されます.このV切符は公社に貯蓄されていきます.一方で利用者である高齢者は1時間につき700円を公社に支払います.ボランティアは将来60歳以上になったら,もしくはボランティアの65歳以上の親戚がV切符を使用し,1時間のケアを受けることができます.現金での支給を受けることも可能で,無利子ですがV切符1時間につき700円の支払いを受けることもできます.地域を超え,時間を超えてボランティアとしての繋がりを創っていくという新しい試みであると言えます.

 V切符制度には「ボランティアに経済的価値を持ちこむな」という批判もありますが,経済的価値だけを考えれば普通に働いたほうがもちろん良いわけで,この制度の本質をとらえていないと言えます.本著ではV切符制度の本質は「会員相互のボランティアとしての関わり方をシステムがサポートできるか」というところだと述べています.実際この制度の利用者は金銭的な価値よりも,将来への不安を払しょくするためであったり,現在の充実感を得るためという人が多いようです.このシステムが成功するかどうかは公社の信頼性と継続性が重要です.

 JAPANボランティア協会でも,今後ボランティア登録によって蓄積された経験やスキル,ボランティア時間というものを,そのボランティアのためのサポートに使えるシステムにしていきたいと考えています.

6.まとめ

 本著では前半部分でボランティアの不思議さ,魅力,そしてつらさを.後半部分では現代に至るまでの社会システムを解きほぐしながらボランティアが提供できる新たな社会システムについて述べていました.新たな社会システムを形成していくにはその基盤であるインフラを整えていくべきです.今後ボランティアが社会システムを形成していくとすれば,それはボランティア同士の緩やかな繋がりを継続しつつ,V切符制度などの新たな価値を創出する形になるのでしょう.そのために,ボランティアのインフラを整え,より多くのひとの善意を最大限活用できる形を創るため,JAPANボランティア協会はボランティア証明書発行とボランティア登録による情報の蓄積に努めていきたいと思います.

 

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