ペイフォワードとボランティア精神
Pay Forward について
自分がしてもらった親切を、その人に返すのではなく、次のひとへ親切をして返す。ペイフォワードという映画がありますが、それで世界は平和になるのか?結論は平和になると考えます。
その考察を行っていきます。
まずは「Give & Take」という言葉について。
例えば自分の時間労働とその効果を100点満点でつけてみます。
「自分で自分のために労力を使うとき」
→労力100、効果100.
しかし、もしある分野では自分より秀でた能力を持ち、ある分野では自分より劣った能力を持つ相手と「Give & Take」の関係を作れたとしたらどうなるでしょうか。
→自分が相手のために使う労力10.相手が得る効果100.(Give)
→その結果、相手がお礼をしてくれる。相手が自分のために使う労力10.自分が得る効果100(Take)。
上記のようになるのがBestなGive & Take でしょう。
人間社会において非常に有意義な考え・行動であり、実践していくべきであると考えます。
しかし、ここでこう思う人もいるのではないでしょうか。
ほんとに相手が自分に対してGive してくれるのか。自分がGive したのと同じだけの効用をその相手が自分にもたらしてくれるのか。
これは「正直者はバカを見る」という言葉が表していると思います。
話はワキに逸れますが、世の中のことわざや四字熟語など、昔からある言葉というものは人類の英知の結晶であると思います。一見矛盾するような言葉もあるが、それは状況によって当てはまり方が違うだけでしょう。
つまり、「正直者はバカを見る」というのは英知の結晶であり、一見正しそうに見えます。
しかし、これはその事象が起きたときの衝撃が大きすぎて人々の印象に残り伝承としてこのことわざとなったのではないでしょうか。現代の人間は、犯罪率は減少しているのに、「最近犯罪が増えている」と感じるようです。これは、昔の事象は脳みそが忘れていき、今起きている事象に衝撃を受けるからです。「正直者はバカを見る」もこれと同じような心理的要因によって生み出された言葉なのではないでしょうか。
では、実際に正直者は得をするのか。損をするのか。
人のために動く人は得をするのか。損をするのか。
「とにかくまずいろんな人のために動いたとするとどうなるのか。」
一番最初と同じように数字で考察してみます。
自分の労力と相手の感謝の度合いを数値化してみます。
仮定として、自分は余裕のある範囲で相手にGiveするとします。
ちょっとめんどくさいな、とか、ちょっと疲れているな、というのを乗り越えるほんの少しの労力で、相手を大きく助けられたとします。
上記のように仮定し、自分の使う労力を例えば3という数字にしてみます。
相手が辛いときの相談にのってあげたり、相手が困っているときに手伝ってあげます。
相手はどう感じるでしょうか?
相手は「辛い状態」で、「困っている状態」です。
ということはこちらの労力は3というすごく少ない労力だとしても、相手の感謝の度合いや助かる度合いというのはその人にとっての労力3よりも必ず大きくなります。
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感謝する相手には相応の行動に出るものだと思います。もしくは、問題が解決することで余裕が出て他のひとに優しくすることもあると思います。
もちろん「恩をあだで返す」という言葉もありますが、これも「正直者はバカを見る」は衝撃の度合いが大きかったため脳に記憶として残りやすいという理論と同じく一蹴できます。
結論として、他人のためにとにかく自分の余裕のある限りで手助けしていくことが、世界平和に繋がるし、自分の利益になる可能性も十分にあります。
そもそも、古今東西、古くから人類は助け合って生きてきたはずです。
生物学的にも、他人を助けることが結局は自分の遺伝子を多く残すことに繋がるという理論もあります。
にも関わらず人類社会は資本主義と共産主義との戦いを経て、拝金主義となってしまったのではないでしょうか。
もちろん人類の本能を考えると資本主義のほうがモチベーションにつながりやすいのかもしれませんが、完璧な理論ではないと思います。
世の中には無駄がはびこり、富や権力が集中し、格差が生まれています。
これを直すのは政治的システムでは無理ではないでしょうか。富や権力を手中に収める人が変わるだけで、根本が変わりません。
文化を変えていくべきではないでしょうか。
人を助けることがかっこよく、英雄となり、みながそのような人物を目指すような世の中に。
フランスにも [ noblesse oblige ノブレス・オブリージュ ] という言葉があります。
「高貴さは(義務を)強制する」という意味で、高貴であるということは高い徳をもち、その他のために尽力する義務が生じる。その義務があるからこそ高貴たりえる。という意味です。
武士も、命をはって庶民を守るからこそ敬われ、地位を与えられました。
それが庶民を食い物にするようになっては世も末です。
もちろん、人間なので欲もあればやりたくないこともあります。自分の余裕のある範囲で、できる範囲で少しずつ社会のために役立つことをやっていければいいと思います。
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