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現代社会での多様性の受容は必然か?

みんなで肩を組んでいる写真

こんにちは!JAVOメディアライターの渡辺です。

この数年、みなさんが多く耳にするようになったであろう”多様性”という言葉、

みなさんはこの言葉を聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか?

LGBTQや障害の有無などが真っ先に思い出されるかと思います。

特にLGBTQ関連の話題は様々な物議をかもし、ニュースで見ない日はほとんどないほどです。様々なバックグラウンドを持つ人々が互いを尊重し良い社会を目指すことは素晴らしいですが、果たして現在の”多様性”と呼ばれるものは受容できる範囲や社会の方針として正しいと言えるものなのでしょうか。

この記事では世論として目指す”多様性”の受容が適切で必然的なものなのか考察してみたいと思います!

 

1.多様性とは?(ダイバーシティ)

空を見ている写真

ダイバーシティとは、人々が異なる背景や属性を持つことを尊重し、それを受け入れることを指します。この概念は、性別、年齢、人種、国籍、宗教、性的指向、障害、価値観など、さまざまな違いを含みます。ダイバーシティ

が存在することで、異なる視点や経験が集まり、組織や社会全体の創造性やイノベーションが向上する可能性があります。

しかし、ダイバーシティとよく混同される言葉にインクルージョンがあります。ダイバーシティが多様な背景を持つ人々が存在する状態を示すのに対し、インクルージョンはそのような人々を受け入れ、彼らが公平に参加し、価値を発揮できる環境を整えることを意味します。つまり、インクルージョンはダイバーシティの次のステップであり、すべての人が尊重され、平等に扱われる状況を作り出すことに焦点を当てています。

また、多様性に関する議論では、LGBTQという言葉もよく登場します。LGBTQは、Lesbian(レズビアン)、Gay(ゲイ)、Bisexual(バイセクシュアル)、Transgender(トランスジェンダー)、Queer(クィアまたはクエスチョニング)の頭文字を取ったものです。この中で、特にTとQについては、まだ理解が深まっていないと感じる人も多いかもしれません。

Transgender(トランスジェンダー)は、生まれた時の性別と自らの性自認が一致しない人々を指します。このカテゴリーには、性別適合手術を受けた人も、そうでない人も含まれます。彼らは、性別を変更するか、そのままの状態で表現することで、自らの性をより正確に反映させます。一方、Queer(クィア)は、性的指向や性自認が従来の枠に収まらない人々を広く含む言葉です。さらに、自らの性のあり方に疑問を持ち、それを模索している人々もQueerの範疇に入ります。この用語は、かつては差別的な意味合いで使われていましたが、現在では多くの人がポジティブな意味で使い、自らのアイデンティティを表現する言葉として採用しています。

このように、多様な性のあり方が近年になって顕在化し、社会全体での受容が進んでいます。こうした変化は、個々の尊厳を尊重し、包括的で公正な社会を築くための重要なステップとなっています。多様性とインクルージョンは、より良い社会を実現するために不可欠な要素であり、これらの概念を深く理解し、実践することが求められています。

 

 

 

2.現在の多様性の方針と妥当性

カラフルなチョークの写真

多様性の受容を考えるとき、マイノリティとして紹介される人々が多くの人々から理解を得るためにどれだけの苦労をしてきたかを考える必要があります。彼らは社会的に少数派であるがゆえに、しばしば排他的な扱いを受けることがあります。このような扱いは決して容認できるものではなく、彼らのアイデンティティに対して外部から口出しをする権利は誰にもありません。そこで、社会的に弱い立場に置かれているこれらの人々を理解し、認め合うことを目標とする動きが広がっています。この動きによって、これまで声を上げることが難しかった人々がカミングアウトし、より住みやすい社会が形成されつつあります。これは非常に素晴らしいことのように思えます。

しかし、少し立ち止まって考えてみると、このような取り組みはマイノリティの人々の立場から見た一面的な利点に過ぎないのではないか、という疑問も浮かびます。社会全体での快適な環境づくりという視点から見れば、これは果たして全体的な平等を目指す方針になっているのか、慎重に考える必要があります。一部の意見として、多くの国民から支持を得るために聞こえのよい施策を打ち出す政治的な動きの一環として見られることもあります。

マイノリティに属さない人々が、マイノリティを排他的に扱わないことを前提としながらも、多様性の受容を強制することに対する弊害も考慮しなければなりません。例えば、多様性を尊重する一方で、マイノリティの人々に対する嫌悪感を持つという感情を持つこと自体が否定されることで、自身のアイデンティティが曖昧になることが懸念されます。また、外見から性別を判別することが難しくなり、常に相手の性別や性的指向を気にしながら対応する必要が生じることもあります。これらは一部の人々にとって負担となり、過剰に気を遣う状況を生み出しかねません。

具体例として、男女平等を目指す過程で、女性の権利ばかりが重視されることによって、逆に男性が不公平感を抱き、女尊男卑的な社会が形成される可能性があります。このような状況では、最終的な平等が達成されるどころか、新たな不平等が生じることも考えられます。

このような流れを読み取れる出来事として、愛知県の議員が同性婚に関して「気持ち悪い」と発言し、批判を受けた事件があります。この発言は公人として非常に不適切であり、批判されて当然ですが、同時にこの議員が持つアイデンティティや考え方に対しても一定の理解が必要です。同性愛者団体が議員に謝罪を求めた際、高圧的な態度で質問を行い、その後考えを改めるよう求める発言がなされたことは、議員の発言が不適切であったものの、一方的に受容を強制するアプローチにも疑問が残ります。

インクルージョンとは、異なる立場や意見を尊重し合うことが基本ですが、これが一方的な受容の強制に繋がると、真の意味での包括的な社会を築くことは難しくなります。多様性を受け入れることで、すべての人が自身のアイデンティティを保ちながら共存できる社会を作るためには、双方の譲歩が不可欠です。

そのためには、互いに異なる意見や感情を持つことを許容し、対立を避けるために「本音と建前」をうまく活用することが求められます。心の中で完全に受け入れられなくても、外面では他者を尊重し、排除しない姿勢を保つことが重要です。このようなバランスを見つけることで、対立を緩和し、共存する社会を築くことが可能になるでしょう。

現在の方針が少数派の人々の社会的地位を向上させるために、マイノリティが優位であると感じられる状況を作り出しているとすれば、それは全体の平等を目指すものではなく、結果的に新たな不平等を生み出す可能性があります。真の平等を達成するためには、どちらか一方が力を持つのではなく、すべての人が譲歩し合い、共に共存できる道を探ることが必要です。

 

3.まとめ

現在この話題はとてもセンシティブでこの記事に関して異論をもつ方も当然いることでしょう。ただ一つ断っておきたいこととして現在のみていて呆れるような稚拙な議論が多い世の中を批判的に考察した一面もあり、一見マイノリティの人々を尊重していないように読み取れる可能性がある箇所もあったかと思います。しかし文意としてはどちらかのみを保護することがいかに危険なことなのかを強調したいのです。社会的包摂を絶対善とする世の中に飲まれてしまう可能性がある私たちは一度立ち止まって何が全体に利益を及ぼすのか一度考えてみる必要があると思います。この記事を読んで社会における多様性、インクルージョンのあり方を考えるきっかけにしていただけたら幸いです!長い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました!

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参考文献

HRプロ https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=3865

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