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江戸時代に学ぶ持続可能な社会の知恵とは!?

リサイクルされたペットボトルの山

こんにちは!JAVOメディアライターの川崎です。

今回は江戸時代の持続可能な社会について紹介していきたいと思います。まず持続可能な社会とは、環境、経済、社会の三つの側面が調和して、将来の世代も今と同じように豊かな生活を享受できるようにする社会のことです。具体的には、資源を無駄にせず、環境負荷を減らし、社会的な公平性や経済的な安定を保ちながら、現在と未来のニーズに応えることが目指されます。現在SDGsではそのような持続可能な社会が目標とされていますが、実は江戸時代にはすでにその社会が築かれていたのです。

リサイクルしている写真

 

1.当時の状況

日本は江戸時代の鎖国政策により、外部との貿易が制限され、国内の物品や資源が非常に限られていました。この状況において、物資を無駄にしないようにするため、あらゆる面で自給自足が求められました。農業や手工業、商業などのさまざまな分野で、リユースやリサイクルの精神が根付くこととなり、例えば衣服や道具が使い古されても再利用されたり、廃材が新たな製品に生まれ変わったりしました。こうした生活の知恵は、物資の節約だけでなく、環境への配慮や、効率的な資源活用を追求する文化として、江戸時代を通じて深く根付いていったのです。

 

2.当時のリユース・リサイクルはどのように行なっていたのか

衣服は非常に貴重で高価なものであったため、庶民は新しい服を手に入れることが容易ではありませんでした。そのため、古物商から古着を購入することが一般的な手段となっていました。古着は、昔の服を再利用する形で、新たな所有者に渡り、擦り切れや破れがあっても、まだ十分に役立つ部分が多いため、庶民にとっては経済的な選択肢でした。さらに、使い古された服は、ただ再利用されるだけではなく、床拭き用の雑巾や掃除道具としても活用されるなど、あらゆる部分が無駄なく利用されていきました。最終的に、どうしても使い物にならなくなった布や衣服は、燃やして灰にされ、その灰すらも無駄にすることはありませんでした。この灰は、農業において肥料として活用されるほか、染料や洗剤の製造に用いられることもありました。灰の買い付け業者が各地を回り、集めた灰を農家に販売するという流通システムが存在していたのです。

 

紙は貴重な資源であり、限られた資源を無駄なく使うために人々は紙を何度も繰り返し使用しました。例えば、手紙や日常的なメモ、帳簿などに使った紙は、使い終わった後でも捨てられることはありませんでした。古紙は買い取ってくれる業者に売られ、古紙の買い付け業者はそれを集め、製紙業者に転売することで再生紙として新たに生まれ変わりました。再生紙は、新たに紙を作るコストを削減するだけでなく、資源の無駄を減らす重要な手段となっていました。さらに、印刷された紙や書籍も貴重であったため、簡単に捨てられることはありませんでした。特に、教育の場では、教科書や学習資料が代々受け継がれることが一般的でした。例えば、ある寺子屋では、算術の教科書が100年以上も使われ続け、何度も手入れされながら次の世代の子どもたちに渡されました。 

 

金属や道具に関して言えば、鉄や銅などの金属は溶かして再利用され、使い古された道具や器具も修理を施して再び使用されることが一般的でした。江戸時代の日本では、古くなった鉄や金属を積極的に回収し、それを再び鍛造して新しい道具や器具を作り出すという、資源を無駄にしない工夫が日常的に行われていました。例えば、農具や日用品、武具などは長年使用された後、破損や摩耗が進んでも、その金属部分は再利用されることが多く、鍛冶屋や金物職人たちによって修復や再加工されました。このような再利用の方法は、金属の貴重さや耐久性を最大限に活かし、資源の無駄を避けるための知恵として、江戸時代の人々の暮らしに深く根付いていたのです。また、金属を再利用することで、新たに金属を採掘する手間やコストを削減することができ、環境への負荷も軽減されていました。 

さらに、江戸時代では人糞さえも再利用の対象とされていました。農業が主な生業であった当時の日本では、肥料の確保が非常に重要な課題でした。そのため、人糞は貴重な有機肥料として利用され、農作物の生産に欠かせない資源となっていたのです。農民たちは定期的に民家を訪れては、家畜の糞や人糞をもらうための交渉を行い、その代わりにお金を支払ったり、自分たちが育てた野菜を提供したりしていました。

また、こうした人糞の取り引きが広がる中で、「人糞小売業者」と呼ばれる商売が登場しました。これらの業者は、民家から人糞を集めては、それを農民たちに売り渡すという役割を果たしました。

 

このように江戸時代ではほとんどのものが再生利用されていました。限られた資源を無駄にせず、さまざまな方法で物を長く使い続けることが生活の一部となっていたのです。このような「もったいない」という精神は、物を大切にし、無駄を省くという日本独自の文化を形成し、現在にも続く価値観を育んできたと考えられます。

 

3.当時の人々の考え方

江戸時代の人々は、物を長く使い、無駄にしないことを重要視していました。物は簡単に手に入るものではなく、手作りであったり、材料を慎重に選んだりしたため、大切に使うことが当然とされていました。このことは現代の「使い捨て文化」とは対照的で、長期間にわたり物を再利用することで、資源を無駄にしないという意識が強く根付いていました。

また、謙虚さを尊重し物を浪費することをひどく嫌っていました。この考え方は、自然はどのように機能しているのか、そしてその限界はどこまでかを理解することからきていました。人々は必要なだけを取り、それ以上は取らなかったそうです。

 

4.持続可能な社会によりもたらされた影響

商品を各地から仕入れて販売する重要な役割を果たしていました。また、商人だけでなく、職人や農民、運送業者などさまざまな業種の人々が互いに連携し、地域ごとに特色のある産業が発展していきました。このように、職業の多様性とそれに伴う需要の広がりが、江戸時代における失業率を低く保つ一因となっていました。さらに、江戸時代の商業社会では、需要と供給がうまく調和しており、仕事を求める人々にはさまざまな選択肢が与えられ、社会全体として安定した経済が築かれていたため、失業問題はほとんど見られなかったとされています。

ペットボトルを分別している写真

 

5.まとめ

このように江戸時代ではすでに持続可能な社会が実現していたのです。江戸時代の厳しい生活があったからこそ持続可能な社会が実現できたということがわかります。それとは反対に、現代の私たちは食料や資源といったさまざまなものが豊富に手に入る環境に恵まれていると感じがちです。テクノロジーの進化や物流の発展により、日常生活は非常に便利になり、多くの物資が容易に手に入るようになっています。しかし、その一方で、資源の消費は急速に加速しており、環境への負荷や持続可能性についての意識が薄れている部分も少なくありません。つまり便利さや豊かさを享受する一方で、それらが自然環境に与える影響や将来への負担について深く考える機会が減っているのです。モノを大切にするという考え方は、単に物理的に物を大事にするというだけでなく、それを取り巻く環境や資源の大切さを理解することでもあります。もしこの記事を通じて、消費の仕方や資源の使い方について少しでも意識が高まり、持続可能な社会に向けた行動が広まるきっかけになれば嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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